もう20年前になるだろうか、写真は撮っていたけれど作品を作るなんてのはまだ微塵も考えていない頃、ボスの昔の知り合いだというカメラマンが現場にやってきた。何となく根本敬さんと同じような気を出すそのカメラマンは邪魔なくらいの突っ込みで現場を引っ掻きまわし、執拗に被写体に迫るその姿には狂気を感じた。後日プリントを観たら驚くほどいい写真を撮っていた。見事としか言いようのないそれは強烈な嫉妬を覚えたと同時にもう写真やめようかと落胆したほどだった。
何日かのち、その写真群がネットにアップされていた。まだSNSなどない時代なので彼のホームページ上にギャラリーとしてアップされていた。その被写体はネット公開禁止だったので大問題となり、画像の取り下げを何度促しても取り下げる気配がなかった。
知り合い筋から聞いたところによると彼は精神的に相当病んでいるようだったという。その後、彼は病状が悪化し実家のある北海道に戻ったきり連絡も取れなくなった。
ある日、仕事場でアーカイヴをまとめるために書庫をひっくり返していると彼が80年代に撮ったトライのネガが出てきた。まあ、うまいんだけれど狂気を感じるほどでもなく、この後どのようにして彼の意識が構成されていったのか興味が湧いた。
90年代にボスがよく頼んでいたグラフィックデザイナーがいた。彼も相当な腕利きで抜群のセンスだった。一時は彼の弟子になりたいと思ったほっどだった。ただ、元々あっちとこっちのごく細い境界線をギリギリで綱渡りしているような人だったのでのちに精神的に病んでしまい九州の実家に帰ってしまった。その後、実家に火をつけたり相当荒れていたようだけれど、最終的には自死してしまった。
知人のカメラマンのアシスタントにも抜群にいい写真を撮る子が居たという。彼女も表現を目指してカメアシを卒業して上京するも道半ばで精神を病んでしまい、自傷行為を繰り返し結局写真をやめて実家に戻ってしまったという。
紙一重の、ギリギリの、懊悩の中からうまれてくる写真は何か潜むものを感じるのだろうか。そこは到底たどり着くことのできない境地である。