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昔、通勤用で使っていたバイク(自転車)にまた乗り出した。10年近く前、慢性前立腺炎を宣告されてから自転車はご法度だった。この厄介な病気が発症したのは間違いなく自転車が原因だった。それまでは毎日欠かさず20km、多い月は800kmは踏んでいたと思う。トレーニングはもちろん都内はほとんどこの自転車で移動していていた。我慢できないほどの痛みを訴えると医者は乗り過ぎだと言った。それでもと思い、ドロップハンドルからフラットバーに替えてポジションも随分変えたけれどやっぱり簡単に治る症状ではなかった。いつかトラックに復帰しようと未練がましく保管してあったトラックレーサーは一昨年とうとう手放した。

当時は乗れなくなって立ち直れないほど落ち込んだけれど、こればっかりはアタリどころもなく愚図愚図言ってもどうしようもなかった。

あれから体重は7キロ増えたけれど太ももは細くなった。通勤用バイクはいまだギア比3.07の重いままで使っている。

 

70年代のイタリアのバックヤードで作られたフレーム。薄いクロモリで非常に軽い。ブレーキ、ヘッド、BBはカンパで組んだ。ギアは厚歯シングル固定。

 

トラックで使っていたレーサー。いわゆる競輪フレーム。トラック競技は今はほとんどカーボンフレーム。サドルはパワーを逃さないためにカッチカチ。そりゃ身体も痛むわな。
ギア比は確か3.27で乗っていた。競輪選手は3.92。
ボクが乗ってた頃は山崎が頭角を現し始めた頃で、当時としてはありえない4.0ギアでGレースを勝ち始め、この後競輪に大ギア時代が到来した。

 

OBONZANSHO

 

台風の大雨とお盆残暑という悪条件の中、拍子抜けするくらいあっさりと700キロを走破したミジェットを労い軽メンテをした。交換後1000キロ以上走っても酷い汚れもなくきれなキツネ色のヒロコーオイルは優秀だ。SUキャブも清掃。スロットルもピストンもたいして汚れていなかった。プラグはきれいに白く焼けていた。いや、白すぎだろうと燃調を若干濃くしてテスト走行をした。あきらかに高速の伸びが良くなり街中の低回転時の息継ぎもなくなった。帰還後、店前で休憩していた3軒隣のMさんとミジェットをネタに長い雑談、プラグを確認するのも忘れていた。いいねいいねとMさんはフロントフェンダーを摩りながら、ラバーバンパーは絶対このままにしておいた方がいい、変えちゃダメだとしきりに念を押された。小さくていいなあ、また小さいのが欲しくなったなあ、スーパーセブンを売ってオレもミジェットを買おうかなと言った。ボクは彼の持っている品川シングルのクーパーSを譲り受ける念押しをした。二人とも半分冗談で半分本気だった。

 

 

いつも濡れる靴は同じ



土砂降りの時に履いている靴はいつも同じだった。狙っているわけでもなく、突然のゲリラ雨の時も同じ靴だった。夏の間、いつもはサンダルなのに何故かそういう日に限ってこのスニーカーだった。

 

土砂降りの下高井戸、「教育と愛国」を観る。

偏りがあるのか、どこまでが真実なのか深堀りしてみたくなる謎。史実の教育については子供たちに「なぜ」と自分で考えさせることが一番重要であり教育者に委ねられる部分も大きい。

映画の間でも乾かなかった濡れた靴のまま再び京王線で上る。すっきりしない。

 



 

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