Shovelog

Snow Lights Films

アン・ジュンノ(暗順応)

 

仕事場の洗面所の照明器具が調子悪かったので新品に替えた。もう20年使っているので寿命であろう、内部のプラスチック部分はパラパラと割れてきていた。さてこの洗面所の照明は蓄光機能という余計なお世話なオマケが付いていて、照明を消した後もぼんやりと柔らかく光っているという物だった。しかしこれをすっかり忘れいて以前ココでフィルムリールを巻いたことがある。暗順応で目が慣れた頃は時すでに遅し、出しっぱなしの巻いたフィルムロールは僅かに感光していた。これに懲りて暗室用の照明はなるべくシンプルなものを選ぶ。豆球や蓄光のないもので何よりもすぐに点く反応が良い物を選ぶ。定着液から上げたプリントはすぐ照明を点けて0.1秒でも早く確認したいのである。
ということで仕事場でプリントする事はないけれど、ここでフィルムリールを巻くこともあると考えてごくシンプルなLEDのものに替えた。点けたらびっくりするくらい明るくなって洗面台の鏡の前にはくたびれたおっさんの顔が生々しく写っていた。

 

真夜中の虹

 

新型コロナやインフルなんてもってのほか、風邪も引けない家庭に持ち込めない大学受験生と国家試験前の医学部6年生、ご家族の方は大変だと思う。我が家は4年前と2年前にあの世界をなんとか通過したけれど未だに検索おすすめに大学入試関連のニュースが上がってくるのでその度に妙な緊張を覚える。

 

高解像度よさようなら


澤田育久
「Reduction / Outline / Interpretation, Dec.2022 The White」

高解像度デジタル時代へのアンチテーゼ、ジャギーさえもアートに昇華させてしまうという試み。トーマスルフはJpegをそのまま巨大化することで表現してきたけれど澤田はより低解像度へ抽象化する。壁一面に並べられた画像はデジタル黎明期時代へのノスタルジーを感じつつもそれは新しい文様となり、映像も音も合わせて近未来的な異空間を演出している。これは近未来なのか過去なかのか。「過去はいつも新しく未来は常に懐かしい」とは森山大道が言った言葉である。澤田さんの展示を見ながら森山大道の写真よさようならを思い出した。

 

www.the-white-jp.com

逢魔時

 

この写真を撮る時には金村修「ドイツ・フィンランド」が浮かんだ。あの整然とした街並みで金村さんらしさを出すのは苦労されたと思う。そこで黒を情報として前面に出している。あえて曇天や逢魔時を選んで撮影、元々光量が足りない上にさらに黒く焼かれているのでそれはもう気持ちいいくらいに黒い。金村さんの作品の中でも一味違った好きなシリーズである。

逢魔時に現れるとされる魑魅魍魎の魑魅は山の怪であり魍魎は川の怪だと言う。山の怪とは山の神と近いものかもしれない。土建業の仕来たりではトンネル掘削の前日、必ず逢魔時に山の神にお供えをする。お供えは山の神の好物とされる酒、米、するめである。これをお供えした後に絶対に振り返らないように立ち去るのである。山の神は醜いので絶対に見られたくないのである。このあたりが山の怪と通ずるような気がするのである。

今でこそ建設業に女性が活躍しているけれど、その昔、女人禁制だったという理由は、掘った山の「穴の中に入れる」のは男だけというのは山の神が女という事、実に俗っぽい話だけどわかりやすい。山を掘る仕事から離れて20年経つけれどボクは未だに山が怖いと思うことが多々ある。

 

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