Shovelog

Snow Lights Films

絶景東京445

 

 

東京写真美術館で先週からはじまった本橋成一とドアノー展へ。難しい事はわからないけれど写真を鑑賞することはできる。
炭鉱からはじまる二方の仕事の共通点を認識しつつ、決してメジャーではないマイナーな場所からのルポタージュは気当たりすることなく実に落ち着いて見ることができる。この心地よさ、写真を落ち着いて観ることができるというのはなぜだろうかと考えてみる。それは写真が過去の出来事の記録だからだろうか。ノスタルジー視点で観ているからだろうか。既に知っている写真だからだろうか。そして最後に展示されていた昨年撮られた奈良美智とアトリエを撮った写真にはドキドキするようなものが詰まっているように感じられたのである。それは今に近いからだろうか。
写真は撮った瞬間から過去になるはずだけれど、現在の写真と過去の写真と、昔の時代と今の時代と、その境界線は曖昧である。

 

 

 

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