Shovelog

Snow Lights Films

目に見えない境界線

 

昔、飼っていた猫と一緒によく散歩をした。自宅から200メートル離れた公園に行くのだけれど何故か猫はそこまでついて来なかった。公園の手前の通りで蹲ってボクが戻るのを待っていた。ある日の公園の帰り、突然猫が帰ってこれなくなった。戻って見に行ったら大勢の猫に囲まれていた。そこはいつもの場所からより公園に近い場所で猫は自分の縄張りの境界線を超えてしまったようだった。ボクは慌てて猫を抱き抱えて家に戻った。

幡ヶ谷に60年住んでいるボスは幡ヶ谷に20年住んでいるボクに中野通りってなかなか越えられないんだよねと言った。自転車で10分もかからないけれど隣駅の笹塚にはなかなか足が向かないと言う。これはボクもまったく同感であり山手通りから中野通りまでが我々の陣地であり生活の全てはこの陣地内で賄えてしまう。この境界線を越える時は非日常であり冒険をする時である。しかし笹塚に非日常はまったく求めていないしすぐそこなんだけれど何故越えられないのだろうか。そんな事を考えながら今日は中野通りという目に見えない境界線を越えてみた。自転車で越えてみてわかったのはその地形だった。中野通りがわずかに谷になっており、笹塚に行くには緩やかな坂を登らないといけなかった。坂を登ったところで似たような町であるため気持ちの高揚もなく、行きつけの喫茶や飲み屋があるわけでもなく、用がなければわざわざ行く場所でもなかろうと。単に面倒臭いだけということだった。

このような地元の一帯陣地感について書かれた星野博美さんの本を読んでみる。なるほどなタイトルにつられて買ってみた。


 

にほんブログ村 にほんブログ村へ