これっきりですか
今も海が見えるでしょうか。
OF
大竹伸朗展は図録が素晴らしい。こんなに豪華な図録が2700円とは驚きである。製本はドイツ特許のナニだっけか、中平卓馬のサーキュレーションの製本と同じ1頁づつ完全に開ける技法で製本費用は高額、しかも糸が蛍光の水糸を使っている。展示内容はまったく余白がない見応え。これを気持ちいいと感じるか恐怖と感じるかはまさに現代アートの世界である。あの隙間恐怖症的なコラージュや立体工作を作る人はボクの周りに何人か居る。性質なのか性格なのか彼らは誰を模したわけでもなく自然に物を重ね貼り合わせ書き込みながら隙間を埋めていく。そしてボクもそれを見ていて気持ちいいと思う。そういえばボクのフレーミングもその傾向があるけれど最近は余白を楽しむようにしている。
5の系譜
三軒隣のMさんのところでミジェットの圧縮圧力を測ってもらった。4シリンダーともきれいに8kg/cm2を指した。1500の正常値はわからないけれど、元々圧縮比が低い7.5:1だし4発とも数値が揃っているからヨシとしましょうか。実は測る前までは結構ドキドキであった。ブローバイガスに結構オイルスライムが混ざるのでひょっとしたら3番シリンダーあたりがヤバイかもよと脅かされていたのだけどホッと胸を撫で下ろす。
その後Mさんのガレージに移動して車を拝見した。MG-TDとクーパーSに挟まれて中央に鎮座するモーリスマイナーは数字だけの東京シングルナンバーで、もう今では滅多にお目にかかれない車両標識番号である。このマイナーはフロントがスプリットウインドウのシリーズII初期型、新車当時はご近所の紳士が乗られていたそうで、Mさんが幼稚園の頃に助手席によく乗せてもらっていた思い出の車だと言う。今は埃をかぶってしまっているがボディはご自身でレストアしてあり、エンジンルームは舐められるほどキレイだった。
こちらはボクがツバを付けている品川シングルのクーパーS。Mさんが50年所有されている。内装も全て当時のまま、完全オリジナルである。ライセンスランプにゲタが噛ませてあるのは日英ディーラー物ならでは。ちなみに当時のミニのディーラーはモーリスが日英自動車で、オースチンがキャピタル企業。ざっくりとだけれど。
この頃の封印は今とは全く違う形状なのが興味深い。
東京運輸支局の5ナンバーの移変わりは、
上記モーリスマイナーのような数字だけの5からスタートして
→品5(1961年から)
→品川5(1964年から)
→品川51(1967年から)
→品川500(1998年から)という具合。
1963年、オヤジと祖父と「品5」の410ブルーバード。東京も未舗装路がたくさんあった時代。
モチロン私はタネにもなっていない頃。
ちなみに父がこの410ブルの前に乗っていた日野ルノーは数字だけのシングルナンバーだった。当時、生意気にも大学生の分際で車を所有していたという富裕層ぶり。
二桁から三桁になってもう25年も経つのか。