Shovelog

Snow Lights Films

風景論以前

 

長く風景を撮ってきた。風景は写真よりもずっと考えてきたことかもしれない。
それは人間の視覚が介在することによってはじめて風景となることは理解している。存在する風景自体がエモーショナルを内包しているわけではなく、それは人間の知覚によるものであろう。よってできる限りエモーショナルを排除し「植物図鑑」のように撮ってきたけれど、だからといって何かを見つけたわけでもない。ここへ来て風景の背後にあるものを確認していかなければならないのだろうか。ステートメントとして写真に社会的意味を持たせるのは容易かもしれないけれど、あえてそれをしてこなかったのは何故か。もう一度原点に立ち返り東京写真美術館「風景論以後」を鑑賞する。

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4538.html


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