Shovelog

Snow Lights Films

写真的風景


写真に撮りたくなる風景は考える前に撮るようにしている。しかし全く考えないのは無理であり、撮りたくなるからには脳に何らかの反応があったという場所でシャッターを押している。しかしその何らかの反応というのは好みの景色ということであり、何が好みなのか、それは都市はかくあるべしという視点なのか、自分の美意識なのか、そしてそのフォーマットに当てはまった場合はこういう構図でこういう撮り方をすればよい、という風に一瞬にして考える。結局考えてしまっている。そして撮られた景色は自分の中の都市のフォーマットにおさまり類型化される。そうか、自分の写真はタイポロジーなのか、ドイツ写真的だったのかと考えつつも、過去に多くの写真家に撮られた都市の写真のフォーマットの中におさまってしまう事に気づく。結局は記憶の中にある写真家たちの写真をなぞっているだけなのだろうか、それらの写真が自分の写真的知覚を形成しているのだろうか。いや、本当はそうでない意識下で、もっと無意識に近い素の自分で撮りたいと思いつつ、できるだけ自分を掘り下げていっているつもりなのだけれど、それはもう永遠に無理なような気がして、自分の無能さをとっくに理解しつつ、それでも今日もフォーマット通りの写真を撮り続ける。

 

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