Shovelog

Snow Lights Films

ぎなた読み

f:id:honday3:20211210110849j:plainToyohashi / Nikon FM2

ぎなた読みというのを知らなかった。区切り間違えで別の意味になるというのがぎなた読みというらしい。友人は巨人の星のオープニング曲で「思い込んだら」を「重いコンダラ」と大人になるまでそう解釈していたらしい。あのオープニング部分は星飛雄馬がローラーを重そうに引いているからだ。ググって見ればやはり皆同じ解釈をしていたということが解った。有名なところでは「金太の大冒険」や「ウサギ美味しかの山」もそうである。解釈違いはだいたいお下品な方向に行きがちなのだけれど、先日読んだ向田邦子の「夜中の薔薇」はシューベルトの「野ばら」の「童は見たり野中の薔薇」を読み違えてそうなったらしい。これは実に好例で、夜中の薔薇とは実に妖艶で惹きつけられる言葉となった。そもそもこれもぎなた読みなのであろうか、ちょっと違う気もするなと、そんなどうでもいい事を考え込む現実逃避しがちな師走の週末である。
帰りの京王線ホームのメロディーは「野ばら」が鳴り、ボクは迷わず「♪夜中の薔薇」と口ずさんでみた。

にほんブログ村 にほんブログ村へ