Shovelog

Snow Lights Films

箱形の地平線





検索したわけでもないのに、何故かGoogleニュース欄にハコスカの記事が表示された。昨今はRじゃなくても一千万円を楽に超す車になってしまったようでその高騰ぶりはポルシェ級に異常に思えたりする。日本のオヤジたちはみんなハコスカが好きなのだろう。まるで旧車界の森山大道みたいだなと意味不明な事を思ったりしてみる。そしておじさんたちはハコスカにどんな思い入れがあるのだろうか俄然興味が湧く。かく言うボクは幼少の頃の我が家の車がハコスカだった。親父が兄貴より2年落ちで譲り受けた車で2DHTのGT-Xだった。幼かったボクに強烈な印象を植え付けた車で、ツインキャブの吸気音が怖いくらいに五月蠅く感じたり、心地よいと感じるほど慣れ親しんだデュアルマフラーの音は寝ていてもスカGだと聞き分けられるほどだった。そう、この頃はハコスカなんて言葉は無くて、親父たちはみな「スカG」と呼んでいた。このスカGで色んな所に出掛けた。何度もリアシートで寝たし、車酔いで気持ち悪くなって嘔吐しかけたり、ある時は高熱でうなされるボクを運んでくれたりした。そんな思い出もたくさんの車だけれど、あえて今、もう一度乗りたいとは思わないのは何故だろうか。思い出は思い出のまましまっておくというココロだろうか。
その後我が家のハコスカは売られてしまったが、何年か後に隣町で同じナンバーのままのハコスカを見かけた。シルバーのボディは白に塗り替えられ、リアにはウイングを付けてシャコタン暴走仕様になっていた。あれから40数年、そのハコスカはさすがに残っていないだろうか。もし、もし、三河55「72-71」のオリジナルナンバーで生き残っていたら、その時は何方かご一報いただければ嬉しい。もう一度会ってみたい。



絶景東京494




 

土曜日の出勤前に二週間動かしていなかったミジェットに火を入れてみる。二週間ほったらかしでも一発でエンジンがかかる健気さ。とはいえクラッチが死亡寸前なのが辛い。それでもレリーズベアリングをジャリジャリ言わせながら近所を一周してみる。考えてみればこの車を引き取った時からクラッチのジャダーが出ていた。これを回避するために発進時にクラッチに結構な負担をかけていたのも事実。工場が空くのはおそらくGW明けだろうか。季節が絶好ゆえこの待ち時間がなんとももどかしい。



トンビの逆襲

 

 

ボクは自分が携わる広告・放送を推すけど、彼は商社だコンサルだと仕事内容についてのディスカッションを頻繁に繰り返す。いよいよ就活シーズンが始まっている。さてこの先どれくらい内定を取ってこれるのだろうか、国立落ち私文の負け組だけれど、就活には最強とされるこの学校で正解だったかもしれない。内部生にはかなわないだろうけど、ES選考は学歴フィルターで落とされることはないだろうから少しばかり期待してみる。弱小下請けで苦汁を飲んできた親の仇を取ってもらうべく。

 

 

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