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Snow Lights Films

あの頃の話

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あの頃。まだクラウンが観音開きだった頃に早大を出てT社の販売社員となった彼は驚異的に車を売った。高度成長期、爆発的に企業の営業車両の導入が増えた時代、法人の営業担当だった彼は一度に十数台を契約することも当たり前なので販売台数では群を抜いていた。営業方法は今では考えられない「飛び込み営業」が主流だった時代であり、どんな企業かもよくわからず飛び込む事も多々、その中で異色だったのが富士スピードウェイ。サーキットのオフィシャルカーとしてヨタハチを15台受注したと言う。出来立てのコースをおばちゃんがほうきで路面を掃除していたサーキットをテスト走行したのが彼の自慢だ。1台55万円だったヨタハチをサーキット仕様にカスタムを施して1台100万円ほど、15台で1500万円の売り上げである。54年経った今、富士スピードウエイにはまだこの車が1台だけ展示保存されている。
彼の会社があった当時の芝公園回りはディーラーが軒を連ね、付近には各国の名車がずらりと路上駐車している佳き時代。彼の大ボスは「販売の神様」と称される神谷正太郎だった。

晦日の喫茶店で随分長いこと話をした老人は、店を出る際に私が払うと言ってコーヒーを奢ってくれた。

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