Shovelog

Snow Lights Films

ゆけゆけ二度目の書状

f:id:honday3:20220413134814j:plainNikon FM2 Planar50/1.4 Tsukuba Japan

代筆の請求書に押す三文判を買いに新宿まで。都心部の一般道は空いている。ミジェットはアクセルワイヤーの取り回しを修正したらすこぶる調子が良くなった。
三文判を探すのは意外に難しく、西新宿の世界堂は撤退しちゃったしヨドバシも取り扱いがない。結局100均で購入。

あともう少し。

f:id:honday3:20220413134525j:plainNikon FM2 Planar50/1.4 Honmachi Shibuya Tokyo

GWは休まず仕事をする。入稿とか色々ギリギリ。毎回もうこれ以上の出来のモノは作れないだろう、これがワタシの能力の限界ですというものをいつも期限ギリギリで作ってきたけれど、しかし毎回そう思いながら今度こそ無理かもしれないとか弱音を吐きながらそれでもなんとか運よく奇跡的に20年近く続けて来ることができた。このマグレも運もひっくるめたものが能力であり"創り出す仕事"というやつなんだよなとか今さらながら振り返ってみたり。あともう少し。

 

日本に来て何年になりますか。

Nikon FM2


彼とは20年来の知り合いでボクの仕事場の3軒隣が彼の仕事場であり、休憩時間はよく話し込んだりする。

Mさん、たとえば、ピッカピカで完全レストア車の新規登録MGBとボロボロに腐った品5ナンバーのMGBが二台並んでいたらどっち買う?
「そんなの迷わずボロボロ品5を買うに決まってんじゃん。」
「古い車のナンバーって大事なんだよ。その車の歴史じゃん。」
「どんなに腐ってたって直せるから。」
「昔さ、初代シルビアの練5ナンバーを売ったときにさ、オレの名義のままで乗ってていいからナンバーは絶対引き継いでくれって売ったのにナンバー替えちまいやがって頭きちゃったよ。」
彼のガレージには「品川5」ナンバーのオースチンクーパーSとシングル5ナンバーのモーリスマイナーが収まっている。9年落ちで買ったクーパーSはかれこれ40数年も一緒に居ることになる。
「昔はさ、10年経つと1年車検になっちゃうから9年経つとみんな売っちゃうんだよね。当時はクーパーSを新車から乗る人ってさ相当のお金持ちだしね。そんな車をワンオーナーで引き継いだわけ。」
「気がつけばあれから40数年か、そういえばエンジンももう20年かけてないや。」
と笑う。
「この先手放す時が来てもさ、絶対にナンバー引き継げる人にしか売らないよ。」
ボクは金もないのに引き継ぎを立候補してみた。

窮地

f:id:honday3:20220413134428j:plainNikon FM2 Planar50/1.4 Hatagaya Shibuya Tokyo

ドライヴ・マイ・カーの余韻に浸った後は少し頭を空っぽにできる映画が観たい思い、アマゾンプライムでおすすめに上がっていた映画、
ヒッチャー」と「海底 47m 古代マヤの死の迷宮」を続け様に見た。
おすすめのとおりこの2本の内容は似通っていて、ピンチを脱した後にまたピンチの繰り返しは、これでもかというくらいのピンチの連続で具合が悪くなるくらいのピンチまみれなんだけれど不思議と絶望感が無いというのは2本とも主人公が非常に若いという所だろうか。スピルバーグの「激突」に近いけれど後味は微妙に異なる。
ドライヴ・マイ・カーも然りでミサキの若さが重さのバランスを保っているように感じた。いよいよ若さに希望を見出す年齢になったということだろうか。

yhonda.hatenablog.com



築土構木

f:id:honday3:20220413134300j:plainNikon FM2 Planar50/1.4 Minamidai Nakano Tokyo

吉田志穂さんの「測量 山」をニコンプラザで観る。木村伊兵衛賞は2017年の小松浩子さんから物質性が強くなった。一枚の強さというより作業の蓄積。ノミネートの西野壮平さんもそうだった。同時展示される西新宿は今週中にのぞいてみるつもりである。ここから徒歩15分。

http://ycassociates.co.jp/exhibitions/2022/03/25/1509/



トラとエラン

1992年。よく一緒に走った先輩のエランS3とボクのTR4。
ちょうど30年前の写真。今や縦構図は撮らないけれど当時は縦ブームだったみたい。
撮影者の主張が強くなる縦写真は撮るのも見るのも苦手。

 

1992 田口トライアンフTR4

 

1992 桜淵ロータスエランS3




 

 

 

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